明日は、雨が降る。 ミストはそう思った。今日の空はキラキラと光り、快晴であったが、ミストはそんな空を窓越しに先ほどまでワインの入っていたグラスを片手に、そう思ったのだ。由来はある。 まず、タガーが珍しく仕事らしい仕事をしていることだ。客を貢がせることや、笑顔を振りまいて弄んだり(その他もろもろ)することしかできないのかと思うほど、彼は雑用や後片付けをしなかったが、今日はなんと洗い物をしているのだ。皿をピカピカになるまで磨き、グラスをシミ一つなくふき取った。 そして、もう一つの由来が、マンカスだ。今日は店に、あの働き者のマンカスの姿がなかった。あろうことか、彼は欠席。タガーがさぼりで休むことはよくあった(そのたび、客はまた来る気満々でつぐ帰っていく)。だが、マンカスとなると、身体の具合が悪かろうが、何も食う暇がなく腹が減って腹が痛かろうが、死にものぐるいで仕事にきたのだ。その彼が。 なぜ休んだのかは誰も分からないが、マンカス目当ての客は、タガーの客とはうってかわって文句タラタラだ。彼女たちは、いつ来てもマンカスがいると思っているらしく、(まあ、その通りだったのだが)理由もなしに休んでいるのが気にくわないらしい。得にマンカスの常連はタチが悪く、No.1ホストのタガーが言っても機嫌が直らない。むしろ、マンカスファンは、タガーが嫌いな傾向にあるようだった。 そしてマンゴ。なんと彼に指名が入った。それも、5回も。万年ヘルプの予定だった彼がだ。タガーに、マジックでも使ったのかと聞かれてしまったではないか(僕がマジックをかけたのなら、マンゴだけではないはずだろう)。にへらと笑い、マンゴは嬉しそうに客のところへ行った。その笑顔がまた客のツボだったらしく、高いドンペリがその日に3本入った。その上、今日の彼は絶好調だったらしく、スリの手もいつもより早かった。 そして、極めつけがスキンブルとタンブルだ。スキンブルはなんと、ブランデーとリキュールをあおった後、ベロンベロンに酔っぱらってしまったのだ。クラブ1のザル男と言われたスキンブルが、えへへと無意味に笑い、皿は割るわ足取りもふらふらだわと、見ていられない状態だった。タンブルは、なにかにつけてにこにこにこにこと上機嫌に笑った。そりゃあ、彼だって今までに笑ったことくらいはある。だが、今日の笑い方は違うのだ。子供がおもちゃを買ってもらった時のような、小学生が次の日の遠足を待ちきれないようにしているような笑顔だった。そのためだろう彼の指名は、今日はいつもの半分しかなかった。 店内でいつも通りなのは、ミストフェリーズ、自分だけだ。こんな状況下では、自分をも信じられなくなりそうだった。僕はいつマジックを使っただろうと、手のひらを見つめた。いつ、こんなクラブの景気を下げるようなマジックをくりだしたんだ・・・?嗚呼、恐ろしい。 そうだ、と僕はあることを思いついた。そうだ、聞けばいいのだ。 僕は手に持っていたグラスを、タガーに手渡し(タガーは嬉しそうにそのグラスを受け取った)、会計席に座っているオーナー、グリドルボーンのところへ走った。ピンクに彩られた、可愛らしい会計席。ファーをたっぷりと装ったグリドルが振り返った。 「あら、ミスト。どうしたの、そんな顔を青くして」 「オーナー!!今日は・・・いや、昨日は僕、マジックを使ったでしょうか!?」 オーナーは僕の顔を見て、笑いをぶちまけた。息苦しそうにミストを見やり、未だにおさまらない笑いを含みながら、言葉を発した。 「みんなが真逆なのがオカシイ?」 その言葉を聞いて、僕は縦に思い切り首を振った。でも、何故オーナーは知っているのだろう。みんながみんな逆なことを。今日は、そんなに顔を出さなかったはずなのに。 オーナーは、にこにこしてファーをいじった。 「あのね、今日は、ぜーんぶあたしの仕業なの」 えへへ、という声が聞こえてきそうなくらいの可愛らしさで、オーナーは舌を出してオチャメぶりを見せつけたもしやと思い、僕は口を開いた。 「もしかして、マンカスが来てないのはオーナーが電話して休むように言ったんですか?タガーには脅しでもしたんでしょうか?マンゴの指名は奇跡だとしても、スキンブルには酔ったフリをしろと言い、タンブルには無理矢理笑わせているのですか!?」 「あら、マンゴのことだってわざとよ?」 「どうしてそんなことを!」 タガーが働き者でも、マンカスがいないとなかなか片づかないし、タンブルの売り上げとマンゴの売り上げなんて、すごい差があるのに。これじゃあ赤字になりゃしないだろうか。 「ふふ。だってね、こんな日もあっていいかなって、思ったのよ」 「はあっ!?」 「いい?これは、後々莫大にもうけるための賭の作戦だったの。タガーが雑用をしている。『真面目なタガーも素敵!』今日のタガーファンの意見。賭、あたしの勝ち。マンカスが休み。『明日、必ずなんで休んだのか聞きに来ますから!』今日のマンカスファンの意見。明日はいつもより倍の人数が入るわ。賭、あたしの勝ち。そしてマンゴに指名が入る。『あたしも早く指名すれば良かった!』隠れマンゴファンの意見。実はいるのよ、隠れファンが。賭、あたしの勝ち。そしてスキンブルが酔っぱらったのと、タンブルの笑み。『あんな彼も可愛い・・・』珍しいことは、初めは驚かれるけど、後々良いリバウンドが大きいのよ。賭、あたしの勝ち。つまり・・・全勝よ!うふ、ふふふ」 つらつらとオーナー・グリドルは自分の分析と今日の客の反応を述べた。本当に、どこまで裏があるか分からないのが彼女だ。さすが、と言うべきか。こんなことをしても、可愛らしく笑う彼女は、誰にとっても憎めない存在である。この間、彼女の恋人グロールタイガーに、グリドルには、何をされても怒れないんだ、怒鳴る気にならない。と言われたのが頷けた。 だけど、ここでひとつの疑問が残る。 「あれ・・・じゃあ、僕は?」 そう言うと、オーナーはにんまりと、してやったりという顔をした。 「あたしはね、いつもクールで冷静で、かわいこぶりっこで猫をかぶったあなたの、その焦った、素丸出しの顔が見てみたかったのよ」 ああ、なんなんだこの人は。でも、こんな人だから、この店がいつまでも黒字で景気安泰なんだろうな、と、少し敗北感を味わってしまった。 雨がふると思っていた僕の予感は、この場合はずれになるんだろうか。 仕事が終わった後、みんなはケロリとした顔で家に帰っていた。 帰路につく方向が同じだから、タガーにどうやって脅されたのかと聞いてみた。 「いや、別に脅されてはねぇぞ?なんとなく、久々にやるのもさ、楽しいかなーって」 ああ、やっぱり明日は、雨が降る。 FIN